お疲れ様、世田谷実験所

 かつて朝日新聞に「ニュー東京計画」と称されるプロジェクトがあった。
 朝刊頁数が32ページから36、40ページへ、部数も750万部から800万部へ勢いのあったころの話である。
 生産体制では、世田谷工場2列目の増設と座間工場建設のプロジェクトである。私自身もこの計画に深くかかわっていたので、このころのことを思い出し近くの世田谷実験所に自転車で行ってみた。

 昨年3月に46年間の稼働を終了して閉鎖し、輪転機も売却するめどがついたところまでは聞いていた。行ってみるとすでに建物解体工事が始まっており、トラックステーションの防音壁はほぼ解体が終わっていた(写真参照)。この防音壁は稼働時に周辺住民と話し合い、あとから工事したものだ。解体工事看板の事業主は長谷工コーポレーションなので、きっと集合住宅に建て替えるのだろう。

 ふだんみるAダッシュなどからでも新聞部数情報はなかなか見つからない。昨年の株主総会記録でようやく朝刊576万部の数字を見ることができる。これじゃー世田谷工場土地売却も仕方がないか。数々の技術革新により経営に寄与したが、最後に土地売却でいっそう厳しくなった朝日新聞の経営に貢献して消えていく世田谷生産技術実験所に、お疲れ様といいつつ帰りのペダルをこぎ始めた。

                                      旧友 宮田善光